「いやぁ、俺は反対したんだよ。向こうの上司にもさぁ、貸し1だよって…」
(いや、お前の今後の異動の持ち駒の話なんて知らないし、そもそも今抱えてる機械学習の案件誰が引き継ぐんだよ…)
2020年7月20日、時期外れの辞令で突然上司に呼び出された僕は、翌月から全く違うグループ会社で人事の仕事をやることになった…
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みなさんこんにちは。ペスハムと申します。
NINJAメタバライブ、FAN PASSという取組の代表をしています。
NINJAメタバライブは「音楽家にとって新しい価値を提供する場」として「メタバース×NFT×音楽ライブ」をテーマにした取組。
FAN PASSは「これまで提供してきた価値を感じていただけた方が購入できる”一日一枚まで発行できる応援チケット”」で、従来の「スキル」の枠組みにとらわれない、「いかに人を喜ばせることができたか」に応じて応援者を増やし、自分という商品を作って稼ぐことが出来る取組です。
これらの取組は両方とも、「価値を発揮できる人が報われる社会」にしたいという僕の活動軸をもとに行っている取組です。
しかし、ずっと「なんでこの活動軸なんだっけ」というのがよくわからなくなってたのです。
だって活動軸が「他人が○○になってほしい」ってなんか気持ち悪くないですか?
人間誰しも聖人君主じゃないので、根っこのところには「自分がこうなりたい」が必ずあると思うんです。
だから、何か自分のストーリーがあるんじゃないかと思ってた。
今コーチングを学んだり実際に受けたりしている中で
過去を改めて振り返って内省してみました。
結局「僕が価値を発揮していた(と思っていた)にもかかわらず、報われなかった」経験があったからだったんだなという、すごく独善的な想いが根っこにあったんだなということに気づいたんです。
(こっちの方が健康的だと思って、納得感ありました。)
そのためには、僕の過去を綴っていく必要があると思ったので、過去の話をどうぞ。
新しいことを提案してはつぶされ、提案してはつぶされ…
僕が務めていた会社はデカい。古めの業界の中で、表向きは一見新しそうなことをやっていそうだが、実際には「そう見せる」のが得意なだけの「デカくて古い」会社だ。
2019年頭に家庭用機器修理部門の企画部署に着任して「なんか新しいことやりたいんだ」と上司に言われた。
そこでやったのが、過去の膨大な修理データを機械学習させ、顧客の申し出パターンから故障内容と必要部品を事前に予測し、スキルの無い若手でも修理完了率を上げる、というプロジェクト。
企画からコンサルの選定、実験と現場検証まで、僕がほぼ一人で担っていた。
2年計画で動いていたこのプロジェクトは、2年目の夏という、終わりも見えかけていたタイミングで、突然部署人員の純減と共に、終焉の様相を呈した…
ショックだったが、切り替えて異動後の職場で頑張ろうと思った。
しかし、残念ながら運命は決まっていたようだった。
異動後の人事の仕事でも
・Voicy「声の社内報」の導入
・360°人事評価と行動特性を数値化するツールの導入
等様々な新規取組の提案をしていたが、ことごとく会社の回答は「予算がねぇ、出せないんだよねぇ。」だった。(人にお金使わないところもヤバイ)
これ、今では、提案が通らなかった理由が分かる。
僕が「出世しなさそうな人材」だったからだ。
実際、社内での出世ルートはかなり明確に決まっていた。
出世する人間の要素は3つ
①もっともらしい企画書を書くのが上手い人間
②器用に人の心の機微が分かる人間
③上の意向に沿った”新しいこと”を提案できる人間
だ。
これを満たさない人間のアイデアを採用してしまうと、その人間を上に引き上げなければならない。
他にも「ルート」に乗せたい人間がいる中で、「アイデアの新規性」だけでは、上にあげる理由が弱いのだ。
そこには「新しいことをやる」という会社の表の顔と、「出世させたい人間を出世させる」という裏の顔を感じる、黒めな成分の話が顔を出していた。
僕は特に②③が圧倒的に欠けていた。
これを象徴するエピソードがある。
話はひとつ前の部署、2017年に遡る。
僕の暗黒時代…
何度も逃げ出そうと思ったし、実際逃げ出した。
2017年当時僕は、家庭用プロモーションの部署にいた。
入社以来5年間営業実働部隊を支援する部署にいて、初めての大きめの異動だった。
プロモーションの部署は、女性社会だった。
上司は40年間広報一筋で、社内でも伝説的なプレイヤーであった名物女性。
上司の上司も基本的には彼女の言うことには逆らえない。
社内も、取引先も、みんながご機嫌を取りに行く、キーマン。
「彼女を押さえれば、上手くいく」そういう人間だった。
決定的に僕が無理だった点。
彼女は本音と建前が大きく変わる人間だった。
うまく「感情の機微」を察して立ち回ることのできる人間は、重宝された。
自分のような「思ったことがすぐ口に出る真っ直ぐ論理思考人間」とは、絶望的に相性が合わなかったのだ。
彼女の意に背く行動をすれば、周りのすべての人間は、必然的に敵に回る。
裏で陰口を言われているのが分かってて、常に矢印を向けられている気がして、でも表では「頑張れよー」とあしらわれているのがたまらなく嫌だったし、何度も逃げ出したかった。
飲み会に行って、二次会も断れなくて、でもどうしても嫌で…
店に向かう途中の分かれ道で逃げ出した。
翌日出社すると「心配したんだよー」と言われて、また自己嫌悪に陥ってた。
今振り返ると、どう考えても客観的に見て自分の実力不足だ。
でも、当時の自分は、とにかく無理だった。
自分が報われたかった
おそらくだが、この3年間で、僕の「上からの評価」は大筋決まっていたんだろうなと思う。
その後の機器修理部門、別会社の人事部門でも、人間関係周りの環境は良く、新規取組を数々提案していたが、自分の「発揮した価値」は、二度と報われることはなかった。
自分の実力不足と言ってしまえばそれまでだ。もっとうまい進め方はあったと思うし、この企業風土にあったやり方を模索すべきだったと思う。
ただもうこの時には、副業でNFTクリエイターやメタバースライブ、ジェネラティブNFTのマーケターとして活動しており、Web3の世界と大企業の世界でのちぐはぐさに、もはや気持ちが付いていかなかった。
こうして、2023年3月31日に退職。
今思えば…
今思えば、自分の転機にもなった2019年に、スタートアップへ転職しておけば、また変わっていたかもしれないなぁと思う。
2018年度の終わり、例の暗黒期部署での最後の仕事が、スタートアップを多数支援しているコンサル企業と組んでの新サービス立ち上げプロジェクトだった。
このプロジェクトは例の上司も離れて、自分のやりたいようにやれたのだが、サービス自体が酷すぎて結局上手くいかなかったw
しかしこの過程で、スタートアップの仕事の進め方の速さと視野の広さに触れ、自分の人生が変わる転機になった。
そこから投資を始めたり、Voicyを聞き出したり、そしてTwitterを始めてブログやって失敗したり、プログラミングやって失敗したり、色々チャレンジするようになった。
でも、あそこでスタートアップにいってたら、今Web3にはいないかもしれないなぁ…
「クリエイターが報われる社会に貢献したい」と思ったのは
時系列がぐちゃぐちゃしていてわかりにくくて恐縮なのだが、「クリエイターが報われる社会に貢献したい」と思ったのは、2021年の7月29日。週刊文春で「東京五輪開会式の闇」の大々的な報道を見た時だった。